語り,高山正樹

たかやままさき Masaki Takayama

たかやままさき Masaki Takayama

修羅場が語れなくても、啖呵が切れなくても、講談は務まるらしい。
だから、故小金井芦州は講談師を嫌った。彼は「最後の講釈師」と呼ばれた。
その芦州に出会って、3日で芦晃という名を頂戴した。

弟子になったつもりなどないのに、弟子を取らない芦州が弟子を取ったと話題になった。
芦州の前座で、修羅場を語った。本牧亭の売店のおばちゃんに、久しぶりにいい修羅場を聞かせてもらったと褒められた。

酒の席で、若手の講談師に、役者の片手間に高座に上がることを責められた。普段は饒舌な芦州が、ただ黙って聞いていた。

その日、芦州の元を去ることに決めた。以来、一度も芦州とは会わなかった。

齢50を過ぎて、白石准との作品を売る気になった。今、僕のプロフィールは、芦州との思い出だけでいいと思っている。
(“山猫合奏団”をプロデュースする “M.A.P.” 代表)

なお、ナレーション等のお仕事のご依頼がありましたら、下記サイト(JAMBO)よりどうぞ。ボイスサンプルもあります。コンサートでは聴けない声が聞けるかも。
http://www.jambo.co.jp/japanese.htm

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楠定憲と同じく、最初の個人的共演は、プーランクの“仔象ババールの物語”であった。
その後、“どんぐりと山猫”も多数共演した後、1996年、山猫合奏団の初演で語って以来、様々な編成の“どんぐりと山猫”を経験、“セロ弾きのゴーシュ”でのカッコウはもちろん、“注文の多い料理店”ではその歌唱力を存分に発揮し、それで味を占めた白石准は2011年の新作、“オツベルと象”に於いても、また歌として書かれている白象の台詞を担当させられている。

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