宮沢賢治シリーズ第1弾
原作 | 宮沢賢治 |
作曲 | 白石准(1980〜1981年作曲/1981初演/室内楽版に編曲は1996年、それ以降現在に至るまで様々な編成に編曲) |
編成 | 語り2名(基本,1名でも可),ピアノ1名 他、ピアノを含む編成は多様。 |
内容 | 山猫から、ある日一郎に、「裁判」の招待状が届く。喜んで出かける一郎、道中さまざまな登場人物と出会います。
我々のステージでは、まず、登場人物の紹介から始まります。 そして無事山猫に出会えるのか、そして裁判とは何か、、 白石准による本格的に持続的に演奏される作曲作品としてはまさに作品番号第1番にあたります。 白石准は演劇専攻を卒業したのだから、役者の知り合いが居るから語り手を探す苦労が無いこと。 1981年2月に初演され、その後様々な編成の演奏者により、全国各地で公演を重ねてきました。 初演は演劇専攻の友人だった楠定憲によって語られ、「ストーリーを語り手一人で語り、ピアノで背景音楽を演奏する」という形式でした。 そのうち、やはり演劇専攻の友人高山正樹ともパートナーを組み、しばらくはこの組みあわせで卒業後、様々な場所で演奏していました。 ある公演の時、試しに「状況説明の語り手と一郎」の役割と、「その他異界の森に現れる様々な登場人物」とを楠定憲と高山正樹が二人で分担してみました。 現在では、基本的には2人の語り手とピアノで臨むことが多いですが、もちろん、予算やスケジュールの関係で、オリジナル通り、1人で語ることも積極的に続けています。 2011年には語り手と馬車別当、そして、一郎、それ以外の登場人物を三人で分担して語ることも試みました。 音楽の編成は、初演以来長い間、ピアノ1台で白石准が演奏することが基本でした。 1996年、数人の器楽奏者で演奏する機会に巡り合い、この作品を編曲し、正式に山猫合奏団と名乗り始めました。 当時は公演の度に編成が違うということを色々試す間に、オリジナルのピアノ1台では存在していなかった様々なフレーズが合奏版には新たに盛り込まれてきました。 結果、白石准の全作品の中で同じ曲でありながら、演奏回数はもとより、もっとも編成のヴァリエーションの多い作品になっています。 その間、語り手のパートにも修正が繰り返され、最初の頃は単に朗読に近かったものが、音楽のリズムに同調しながら読んだり半分歌ったりする部分も増えてきました。 これは、後に歌を主体とする“注文の多い料理店”や、セリフを完全に全部音符で制御されている“オツベルと象”の手法、つまり言葉と音楽のアンサンブルという山猫合奏団特有のスタイルの芽生えになっています。 初演以来の演奏の編成を以下に並べると(この他にも演奏したプレイヤーも居ますが、初めての試みだったときを書いて居ます)、
上記の最後に記述してあるものは、2011年には作曲30周年の満を持して、いわゆる木管五重奏とピアノに編曲されました。 編成の大きさといえば、一度だけでしたが、小管弦楽のためにも編曲され演奏されたこともありますし、1982年と1996年に、二度ほどバレエの作品として上演されたこともあります。 合奏団としては最大6人の編成でしたが、それ以外にも、ピアノと1人の器楽奏者でも演奏されています。
という編成のヴァリエーションがあります。 チェロ版は、“セロ弾きのゴーシュ”でもゴーシュを演奏し演じている大島純のために、
2016年には、白石准の盟友、作曲家の中川俊郎氏とピアノ連弾版を初演しました。 これらの試みを経るうちに、上演回数は、いつのまにか100回に迫ろう(正確なデータ不明)としています。 単なる背景音楽ではなく、心象風景を表す積極的な音楽があれば、宮沢賢治の物語も、さらに豊かに彩られるのだという発見を伝えたい、それが山猫合奏団の願いです。 |