オリジナルグッズ

どんぐりと山猫

山猫合奏団は、昨日2011/11/27(日)神奈川県の相模原市緑区、相模湖のすぐ側の藤野という風光明媚なところにある「芸術の家」という会場で行われた、「地球愛祭り」というのに、白石准の知り合いからお誘いを受け、出演してきました。

最近の記事でも紹介してきた通り、東京圏では初めてとなるチェロ入りの“どんぐりと山猫”で、語り手三人ヴァージョンの初演をしてきました。

しかも、宇夫方路の語り自体がが東京圏では初めての披露となりましたし、彼女の出来が非常に良かった事は作曲者としてとても嬉しく思いました。

本番はそれぞれの演奏者に割り当てられた時間(30分)の関係で一部割愛、いつものトークもなしで慌ただしく終わり、果たして、この催しの趣旨に役立ったかどうか皆目見当はつきませんでしたが、ホールの中には様々な出店もあり、環境に配慮した製品の販売や、無料で骨密度を測ったりできるコーナーもあり、我々も骨密度を測って、年齢相応だった人、凄く若かった人、異常に年取っていた人と様々で、仕事(ではなかったけど)というより、レクレイションで小旅行をした様な気分でした。

実際、終演後、一部の人間たちで側の温泉に入りに行ったり、その帰りに相模湖プレジャー・フォレストというところでイルミネーションを観たりして帰ったからです。


この記事を書いている白石准の、ここからは個人的感想を述べます。

山猫合奏団を主宰している白石准としては、今回の出演は、あくまで白石准の知り合いとの友愛関係から実現したもので、仕事では無かったけど出演したことには全く後悔してはいないし、演奏自体は多大なご協力の下に普通にやらせてもらって、上記のごとく環境の良い場所で楽しい時間を過ごさせて貰いましたことへの感謝をまず書いておきます。

しかし、僕らの演奏終了後、「地球に感謝、ありがとう」というメッセージのシュプレヒコールを100回以上リピートすることになった時は事前に聞いてなかったので、具体的なメッセージを限りなく繰り返して盛り上がるために音楽が使われたその時間はひたすら非日常的に立ち尽くす異邦人でした。

クラシックの音楽会の範疇の僕らですが、その中でも客席と一緒に歌うとか、客席で起こる手拍子というものをから距離を置いている身ですから、自分とは全く考えの違う人の考えを聞くのは時に許容すべきことだけど、その考えを客席と舞台が一緒に唱和する、しかも数回ではなくおびただしい回数というのは、たとえそれが自分と主張が同じでも僕らの好むやり方では無いので困惑していました。

作曲家である白石准の方針としては、音楽は何らかのメッセージを伝える手段になりうるけれども、それはあくまで音楽の中にあるもので、メッセージが音楽より先に着いているのではない立場に立っていますので、我々にとって「言葉」と「音楽」の関係が、

「言葉の直接的、具体的なメッセージを音楽で包み、その力を倍増して何か他人の生き方を変える提案をする」

ジャンルではなく、

「音楽の抽象性を言葉で彩る事により、その言葉が音楽なしには成立していない」

と思えるように、僕らにとっては

「言葉は常にフィクションであり、それ以上でもそれ以下でもない純粋な「音楽」の一部である」

わけで、山猫合奏団の立ち位置を改めて実感した次第です。

普段は自分たちだけでコンサートを構築しているので、コンサートの世界観も僕らのペースで展開できるのですが、音楽のスタイルだけではない根本的な立ち位置の違うジャンルの壁がある中で、同じコンサートで様々な立場の人が演奏した今回のような場合、自分たちの思惑とそれが全体の中で我々の立ち位置をどう意味付けられたかと思うと、ジャンルの違う人と一緒に何かをするというのはなかなか単純に思うほどは簡単なことではないなと思いました。

どちらにせよ集まった寄付が地球のために何らかの役に立つことを切に祈るばかりで、それに貢献できたらそれは我々の喜びとするところです。

関連記事: