白石准 のすべての投稿

2011/10/16 “どんぐりと山猫”木管五重奏版初演終了

昨日宮崎県の新富町というところで、11時と15時の二回“、どんぐりと山猫”の新編曲に寄る木管五重奏版の初演が行われました。

子供達も多かったのですが、子供達以上に大人の中には想像以上に興奮して反応を示してくださる方が居て、楽器紹介のトークでは何人かの方々の顔を直接見ながら話す状態になり、大変うれしゅうございました。

しかし何よりも嬉しかったのは、終演後の打ち上げでメンバーの皆さんが、この作品の存在理由や今後の意気込みについて熱く語ってくださった事です。

作曲した身とすればこれ以上の光栄な状態はなく、この作品を書いた事、そしてメンバーを集めた事、そして今回最初は独奏でこの場所に呼んで頂いたきっかけなのですが、独奏ではなくこの人たちとここに来る事にしたことが最高の選択であったことを実感しました。

皆さん忙しいし、こんな編成の出し物はなかなか次の実現は難しいだろうなと、今回が最初で最後かもしれないという意識で編曲し、練習したのですが、周りはちっともそういうつもりではないらしく今後の展開を楽しみにしても良いかと思い始めました。

すべての関係者に感謝を申し上げます。

別の表情の写真を個人のblogにも出しました(爆)

あとこちらのblogにもメッセージを出しました。

写真に写っているポスターもこちらの方々の手作りで可愛い。

オリジナルのイラストにいろいろ追加変更があって新鮮でした。

会場のあちこちの壁に貼ってありました。

一つ持って帰りたかったですが、スタッフの人たちがみなさん持ってかえっていましたので残りはありませんでした(爆)

(白石准 記)

宮崎に着きました

山猫合奏団のサイトがリニューアルされたのと同時に白石准の新編曲の“どんぐりと山猫”の木管五重奏+Piano版の初演のため、先ほど宮崎に到着しました。

18時から舞台でrehersalが始まります。

実に楽しみです。
(白石准)

この写真は来る途中の空と、宿泊するHotelから見える景色です。

花壇の向こう側に河があります。

初めての投稿で色々やり方が判りませんでしたが、titleをclickすると写真のサムネイルが現れ、そして写真をclickすると投稿したsizeで表示されるようですね。

2010/11/17 オノマトペ@楠定憲の宮沢賢治考

オノマトペonomatopeeフランス語
オノマトペイアonomatopoeia英語

擬音語・擬態語
 
賢治作品の大きな特徴にこの擬声語の使用があります。そんなわけで山猫合奏団で上演している作品にどのくらい擬声語が使われているか読み返してみました。
言語の専門家からは間違ってるよと言われるかもしれませんが、とにかく数えてみました。

 「どんぐりと山猫」 36語を55回
 「セロ弾きのゴーシュ」 46語を70回
 「注文の多い料理店」 20語を33回

読なら10分程度、少し長めの「ゴーシュ」でも20分くらいで読めてしまう短い作品のなかになんともうまいぐあいに使っているのでした。たとえば「どんぐり」のなかで私の好きな場面で「まわりの山はみんなたったいまできたばかりのように【うるうる】もりあがってまっ青なそらのしたにならんでいました」というのがあります。なんとも青空の下の気持ちよさが倍増するような気がしませんか。

こんなのもあります。山猫の登場のところで「そのとき、風が【どうと】吹いてきて草はいちめん波だち…」とあるのですが、これが「そのとき、強い風が吹いて来て…」となっていてはいきいきとした自然の動き変化が身近に感じられないように思います。人と動物や自然の関係を考えさせる賢治の作戦なのかもしれません。

2010/10/30 俺は読んでない語っている@楠定憲の宮沢賢治考

ちょいと訳あって賢治作品のいくつかを読んでいたのですが、読んでいるうちに「あれ俺は読んでない語っている」と思ったのです。
黙読をしていても自分に自分が語っているようで、声に出してみると誰もいないのに物語を伝えようとしているのです。
ひょっとすると賢治は書いているのではなく、語っていたのではないかと思ってました。それは賢治の仕掛けではないかとも思ったりしていたのですが、賢治についての関係書をめくっているとき「賢治童話は一種の語りの世界であってしかもその語り口の素晴らしさといったら類をみない」というのを目にしました。
賢治批判を書いている人でしたが、この点だけは「賢治は天才だ」と認めてましたね。

そう賢治は自らが語っていたのだ。語られるように、彼の発する言葉のつらなりはつねに音になって空間を飛んでいるように仕組んでいたのだ。
昔アングラ劇をやっていたころ賢治の詩を元にして構成された芝居をやったことがあって俳優たちの「声」の出し方が独特だったなあ。思い出した。

以前宮沢家の宗旨換えのことを書きましたが、浄土真宗から日蓮宗に改宗したのは賢治の死後18年経ってからでした。生前と思って書いてしまいました。ごめんなさい。

2010/10/17 読むも語るも@楠定憲の宮沢賢治考

昨日の夕方高山正樹氏がゲスト出演する朗読の舞台を観て(聴いて)きました。
山猫合奏団の情報ブログに今回の出演への経緯が書かれていましたが、実におもしろい20分余りのステージでした。

落語のネタを“語る”いうユニークな試みゆえにアプローチのむつかしさを思います。

ところで昨今の読み聴かせをはじめ朗読ばやりはどうなんでしょう。読むというのをお手軽に感じているのでしょうか。
ちなみに「口」の語源は「神への祈りの文である祝詞を入れる器の形」(白川 静)で、人の口の形ではないらしい。つまり語るその人の考えていることや向かう方向が映しだされるものなのです。

とはいうものの、書かれたものを読むにしろ映像・所作・絵はたまた音にするにしろその振る舞いを構想するのがいいんだな。

それにしても昨日の不入りは何だ。さみしい。実にさみしい。朗読は人のこころを明るくするものなのに。

くす さだのり