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7/21六行会での“注文の多い料理店”&“どんぐりと山猫”を終えて

白石准です。

もうだいぶ前の事になってしまいましたが、7/21の東京品川付近で行われたチルドレン・フェスティヴァルの事についてちょっと書いておこうと思います。

この公演は、久しぶりに、“注文の多い料理店”と“どんぐりと山猫”の二本立てでやりました。

宣伝してた時にも書いたかも知れませんが、宇夫方路女史の二度目の“どんぐりと山猫”であり、今回は、地の部分というか、状況を説明するいわゆる「語り手」も初めて担当しました。
初めて参加したときは、語り手は三人居たので、山猫から手紙が来る一郎の役だけでしたから。

もう三十余年もやっていて、同じ仲間とやっていると、当たり前に思ってしまうことがあります。
それが、リハーサルの時には、やはりこういう事は指摘しないと駄目だろうなと新たな発見がありました。

それと共に、以前にも長々書いたことがありましたが、賢治のそれぞれの作品の世界観が微妙に違う事も痛感しました。

以前に、“セロ弾きのゴーシュ”や“注文の多い料理店”、“オツベルと象”の登場人物は実に感情が豊かで、怒ったり悲しんだりしているのですが、この“どんぐりと山猫”に出てくる一郎というのは、一番沢山出ているから、主人公かと思いきや、“セロ弾きのゴーシュ”のゴーシュとか、“注文の多い料理店”に出てくる狩人達、そして“オツベルと象”に出てくるオツベルや象とは違い、全く感情の描かれ方が希薄だと言う事を書きました。(根性のある人(爆)は、この事に関するもの白石准によるすごく長大な記事と48個のコメントがここにありますので参照してください。)

故に、白石准としては、この「一郎」というのはほとんど登場人物というよりは、読んでいる人、僕らの場合は観客席に居る人たちの代表、それはまるで、能の「ワキ」の様な役割なのかも知れないと思うようになりました。

で、賢治は、その「安全地帯に居る人たち」に最後、強烈にアンチテーゼをぶつけているのです。
裁判を鮮やかに終了させた理屈が「大きいとか尖っているとかではなく、どんぐりの中で馬鹿で滅茶苦茶なのが偉い」としていたのに、最後、山猫のお礼の選択肢が、「金のどんぐりと塩鮭の頭とどっちが良いか」と訊かれたとき、二つ返事で実にこの世的な前者を選んでしまったという浅はかさ、、。

そこで、今回のリハーサルで、宇夫方女史は最初、登場人物の台詞が音符に乗っかっているので、それを正確に発音することの難しさに苛まれていました。

しかし、段々気づいたのは、それは反復練習の末に何とかなるわけだけど、“セロ弾きのゴーシュ”や“注文の多い料理店”よりは、決定的に、状況を説明する「台詞以外」の部分が、前述のものより、実にリズミカルにテンポの増減やピッチの上でも、様々に音楽的に語らないと、駄目だと言うことです。(逆に一郎の方がニュースを読むアナウンサー口調の方が良い(感情があることを思い起こさせてはいけない)くらいだ。)

つまり、だれも映像を観ることの出来ない聴取者を対象とした、ラジオで相撲や野球、サッカーを中継しているスポーツ・アナウンサーの様な表現力が必要なのだと思いました。

最終的には、僕や、何時もその部分を読んでいる高山正樹の指摘に彼女の頭の中は相当悩まされたことでしょうが、本番は見事、今後また山猫合奏団にとって、重要な戦力となる表現力を見せて貰いました。

前の段落で、“オツベルと象”を除外していましたが、この作品は、ほとんど状況説明をしている語りの部分が韻を踏んでいますから、この“どんぐりと山猫”以上にその部分も大変重要です。
だから、その作品では、99.9%の語りや台詞、そして歌にした部分も全部音符にしました。

今のところ、白石准は四つの宮沢賢治作品を音楽にしていますが、僕なりにそれぞれ、違う冒険をしています。

前半で演奏された、“注文の多い料理店”は、徹底的に同じ音楽(山猫のドアに書いてあるメッセージを歌にしたからその歌の雰囲気をほとんど同じにしたのです。)を反復して、我らが高山正樹の希有な歌唱力でしか表現できないような「狩人達が段々感じる恐怖」ではなく、「段々嬉しくなってくる山猫の感情」を表現した実に明るい世界と、最初と最後に全く本編とは関係なさそうな、寂寥感に満ちた「深い森の音楽」、そして佳境に入ったときの「子分達の漫才の様な一瞬からカタストロフへ向かう部分」の音楽で構成されています。

この二つを上演できるときは、必ず、「僕の独断で、本来は全く関係ないこの二つの作品が一幕、二幕として、繋がったstoryに解釈して上演する」という事をアナウンスします。

後一歩で狩人達を喰う事に失敗した“注文の多い料理店”の中の山猫。
臥薪嘗胆の末、間抜けな山猫から、実に、人を食った様に周到に謎かけをしてくるまでに成長した“どんぐりと山猫”の中の山猫。

「“セロ弾きのゴーシュ”という作品が、音楽無しに読んで、何が面白いのか判らない」と思っているのと同時に、この“注文の多い料理店”と“どんぐりと山猫”の二つはやっぱり切り離せない話なのでは無いかと上演する度にその確信が深まっている所です。

しかし、同時に、“注文の多い料理店”については、他の作品より、音楽的な変化も少ないし、一番地味かもしれないので、みなさんの聴いた感じがどうなんだろうな、と、逆に単独で演奏する事を恐れてしまう様にもなってしまいました。

しかし、終演後、直接ロビーで数人の人にお話を聞くチャンスを得ましたが、初めて会った子供が「“注文の多い料理店”が面白くて(怖くて)、どういう展開になるのかドキドキしました。」と云って貰えてかなり安心しました。

昨年、“セロ弾きのゴーシュ”と“注文の多い料理店”は、厚生労働省より、「社会保障審議会推薦児童福祉文化財」に認定される名誉にあずかりましたが、その認可を得たときの編成が、我々としても初めての、語り手四人バージョンだったので、普段は、一人や二人でやっているので、実はこの日、一度は認可を受けた作品ではありましたが、まだ認可を受けてなかった“どんぐりと山猫”と共に、オリジナルの語り手とピアニストという編成をも、再度厚生労働省の担当の人に聴いて貰っていた関係で、昼の公演と夜の公演では、実は“注文の多い料理店”の編成が違っていました。

昼は厚生労働省の認可を得るための公演ではなかったので、高山正樹と楠定憲の二人で語りました。(それも、通常は二人の狩人(と二匹の子分)の会話を二人で振り分けているのですが、楠定憲は子分の所だけの出演(二匹とも敢えて白石准の頼みで大阪弁にして貰いました(爆))にしてみましたので、それも本邦初演ではありました。)
故に、両方観た役員の人たちは実に面白がって頂けたので嬉しかったです。

最後に。
僕の夢は、“注文の多い料理店”を一度、語り手6人ヴァージョンでやってみたいのです。
一人が、状況説明のいわゆる「語り」を担当し、
もう一人(今のところ高山正樹以外を想定すると、ものすごくそれらしく歌ってくれるオペラ歌手、もちろん、バリトンかテノールの男性、に頼みたいというアイデアがある。)は山猫専門。
そして、二人の狩人を、出来るだけ対照的な体格と声の持ち主で。

ここまでは昨年の公演で実現してました。

最後に、一瞬ではありますが、上手くいかなくてひそひそ話したり狩人達に促したり、山猫に気を使う子分達を、ばりばりの大阪育ちの、しかも、「おばちゃん」の漫才みたいな、超早口のだみ声でやってみたいのです。
そうすれば、あの場面のコントラストはものすごいことになりそうです。

2012/07/21 六行会チルドレンズフェスティバル2012夏IN品川

概要

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    関連リンク


    出演

    写真をクリックするとプロフィールをお読みいただけます。


    2012/7/21新しいメンバーで“どんぐりと山猫”を上演します。

    来る2012/07/21(土)に六行会ホールという、東京の品川にあるホールで“注文の多い料理店”と、“どんぐりと山猫”の二本立てのconcertを山猫合奏団は行います。

    今回の“どんぐりと山猫”は、昨年11月以来二度目になる、宇夫方路と高山正樹と白石准の三人版です。

    宇夫方路の“どんぐりと山猫”デビューの前回は、語り手三人版という新たな試みで、かつCelloのオブリガート付きでしたが、今回は語り手二人版の宇夫方版ということになります。

    彼女が一郎を、そしてそれ以外の登場人物と語りを高山正樹がつとめます。

    そして、昨年、拙作“セロ弾きのゴーシュ”と共に、「社会保障審議会推薦児童福祉文化財」として、厚生労働省から認可を得ることができた、“注文の多い料理店”のオリジナル版の、語り手一人とピアノという形式で久しぶりに、高山正樹と白石准で演奏します。

    この時期白石准は来日公演のWestside Storyの公演で弾いていますが、この日だけ別の方に代わって頂いて、これを弾く事になります。

    是非とも沢山の人に聴いて頂きたいと思いますので、どうぞ、いらしてください。


    六行会(「りっこうかい」と読むらしいです。)ホールの場所は、ここにmapがあります

    催し物の公式サイトもあるようですが、なぜかまだ去年の催しのままになっているので今はlinkしておきませんが、
    「チルドレン・フェスティバル」という子供のためのお祭りの様です。

    山猫合奏団の公演日:2012/7/21(土)
    14時開演(13:30開場)
    17時開演(16:30開場)

    前売:一般2,500円,小中学生1,500円
    当日:一般3,000円,小中学生2,000円

    全自由席。

    チケットの予約などは近々方法を告知いたしますが、とりあえず、山猫合奏団の事務所のM.A.P.のお問い合わせ先のページをここに表示しておきます。

    なお主催者である、チルドレンフェスティバルの連絡先は、03-3471-3200です。


    白石准のsiteでも
    “どんぐりと山猫”についてと、
    “注文の多い料理店”について、
    そして蛇足ですが、“セロ弾きのゴーシュ”についてのcategoryもありますので、まだご覧になってない方はどうぞ。

    以下、広告として、このページの流儀で主張してみます。

    注文の多い料理店冗談広告

    2011/11/27;“どんぐりと山猫”チェロ入り三人語りヴァージョン初演は終わりました@「芸術の家」神奈川県相模原市緑区

    山猫合奏団は、昨日2011/11/27(日)神奈川県の相模原市緑区、相模湖のすぐ側の藤野という風光明媚なところにある「芸術の家」という会場で行われた、「地球愛祭り」というのに、白石准の知り合いからお誘いを受け、出演してきました。

    最近の記事でも紹介してきた通り、東京圏では初めてとなるチェロ入りの“どんぐりと山猫”で、語り手三人ヴァージョンの初演をしてきました。

    しかも、宇夫方路の語り自体がが東京圏では初めての披露となりましたし、彼女の出来が非常に良かった事は作曲者としてとても嬉しく思いました。

    本番はそれぞれの演奏者に割り当てられた時間(30分)の関係で一部割愛、いつものトークもなしで慌ただしく終わり、果たして、この催しの趣旨に役立ったかどうか皆目見当はつきませんでしたが、ホールの中には様々な出店もあり、環境に配慮した製品の販売や、無料で骨密度を測ったりできるコーナーもあり、我々も骨密度を測って、年齢相応だった人、凄く若かった人、異常に年取っていた人と様々で、仕事(ではなかったけど)というより、レクレイションで小旅行をした様な気分でした。

    実際、終演後、一部の人間たちで側の温泉に入りに行ったり、その帰りに相模湖プレジャー・フォレストというところでイルミネーションを観たりして帰ったからです。


    この記事を書いている白石准の、ここからは個人的感想を述べます。

    山猫合奏団を主宰している白石准としては、今回の出演は、あくまで白石准の知り合いとの友愛関係から実現したもので、仕事では無かったけど出演したことには全く後悔してはいないし、演奏自体は多大なご協力の下に普通にやらせてもらって、上記のごとく環境の良い場所で楽しい時間を過ごさせて貰いましたことへの感謝をまず書いておきます。

    しかし、僕らの演奏終了後、「地球に感謝、ありがとう」というメッセージのシュプレヒコールを100回以上リピートすることになった時は事前に聞いてなかったので、具体的なメッセージを限りなく繰り返して盛り上がるために音楽が使われたその時間はひたすら非日常的に立ち尽くす異邦人でした。

    クラシックの音楽会の範疇の僕らですが、その中でも客席と一緒に歌うとか、客席で起こる手拍子というものをから距離を置いている身ですから、自分とは全く考えの違う人の考えを聞くのは時に許容すべきことだけど、その考えを客席と舞台が一緒に唱和する、しかも数回ではなくおびただしい回数というのは、たとえそれが自分と主張が同じでも僕らの好むやり方では無いので困惑していました。

    作曲家である白石准の方針としては、音楽は何らかのメッセージを伝える手段になりうるけれども、それはあくまで音楽の中にあるもので、メッセージが音楽より先に着いているのではない立場に立っていますので、我々にとって「言葉」と「音楽」の関係が、

    「言葉の直接的、具体的なメッセージを音楽で包み、その力を倍増して何か他人の生き方を変える提案をする」

    ジャンルではなく、

    「音楽の抽象性を言葉で彩る事により、その言葉が音楽なしには成立していない」

    と思えるように、僕らにとっては

    「言葉は常にフィクションであり、それ以上でもそれ以下でもない純粋な「音楽」の一部である」

    わけで、山猫合奏団の立ち位置を改めて実感した次第です。

    普段は自分たちだけでコンサートを構築しているので、コンサートの世界観も僕らのペースで展開できるのですが、音楽のスタイルだけではない根本的な立ち位置の違うジャンルの壁がある中で、同じコンサートで様々な立場の人が演奏した今回のような場合、自分たちの思惑とそれが全体の中で我々の立ち位置をどう意味付けられたかと思うと、ジャンルの違う人と一緒に何かをするというのはなかなか単純に思うほどは簡単なことではないなと思いました。

    どちらにせよ集まった寄付が地球のために何らかの役に立つことを切に祈るばかりで、それに貢献できたらそれは我々の喜びとするところです。

    いよいよ明後日“どんぐりと山猫”三人語り+Cello版の初演です

    昨日最終リハーサルが行われ、また記念撮影をしてみました。

    本来は中央にチェロの大島くんが座るヴァージョンと語り手二人の写真も撮るべきでした。

    そうすれば“セロ弾きのゴーシュ”にも使えた。

    27日の本番の日に、相模湖のそばで撮ることにしよう。

    (白石准 記)